光と陰、日常と非日常 
さて、それでは何故「トスカーナで終わる」のでは、と予感するのでしょう。やはり、何故行き着く先がボルドーやブルゴーニュでないのでしょう?その答えは、少し精神的です。
抽象的な答えは、「トスカーナは、光と陰、日常と非日常がはっきりしているから」です。
フィレンツェ、ルッカ、シエナ、ピサ等々の個性と芸術溢れる古い街がある一方、すぐそばに牧歌的なぶどう畑や、オリーブ畑、糸杉の丘陵地を残す精神性。都市生活にふと息詰まったときに逃げられる場所を残しておく知恵。こんな大きな区分けで説明するまでもなく、たとえば芸術が街にあふれるフィレンツェは、それ故に息苦しさを感じますが、そんな中にも心を解放できる場所がたくさんあります。
こういうところでワインを楽しむとワインが日常から非日常への、リアルな世界からファンタスティックな世界への架け橋となっていることに気づきます。このワインが持っている精神性を頭で理解するのでなく、肌で感じることができるのがトスカーナです。日常と非日常の区別があいまいなボルドーやブルゴーニュでは、この肌感覚は得られません。
人生はつらくて疲れることが多いもの。そんな人生の中で、トスカーナで料理とワインを楽しむと「ファンタジアを持つこと」がいかに大事であるかが分かります。
こんな訳で冒頭に書きました「ワインはトスカーナで始まり、トスカーナで終わる」と予感している次第です。なぜトスカーナなのか?の答えになったら幸甚です。(海老) |