■INDEX
>>Toppageへ
>>第1回(2003.6.24 updated)
ワインはトスカーナに始まり、トスカーナに終わる。
>>第2回(2003.8.11 updated)
ブルゴーニュの心―神戸ワイン創設者・三田村雅氏に聞く―
| No.1 | No.2 | No.3 |
|
No.4 | No.5 |
>>第3回(2003.11.1 updated)
トスカーナの風と空。―2003年 イタリア・トスカーナへの旅―
| はじめに | No.1 | No.2 |
| No.3 | No.4 | No.5 |
>>第4回(2003.12.1 updated)
ブルゴーニュの心II―ぶどうは人類の誕生とともに存在した。―
| No.1 | No.2 | No.3 |
>>第5回(2005.1.17〜)
豊かなる北イタリア―ワイン、それは命―
| No.1 | No.2 | No.3 | No.4 |
| No.5 | No.6 |
>>第6回(2006.1.30〜)
ブルゴーニュと北イタリアワイン蔵めぐり
| No.1 | No.2 | No.3 |
| No.4 | No.5 |
白川教授、ワインを語る。
「ブルゴーニュの心」神戸ワイン創設者・三田村雅氏に聞く
第2回 No.5(2003.9.8 updated)

ブルゴーニュの歴史

ルゴーニュで使われているぶどうは、ピノ・ノワール(赤)、シャルドネ(白)、アリゴーテ(白)、ガメイ。ガメイはボジョレヌーボーで有名である。

ーマ帝国のころはナルボンヌ、マルセイユあたりをローマ軍が最初の植民地とした。このあたりの温暖な気候のもとでイタリアのぶどうを植えワインを作っていたが、これより北部の方は寒いためつくっていなかった。しかし、北の方で非常にいいぶどうがとれるといううわさが広まり、実際に、そのワインがローマに送られたという史実がある。ブルゴーニュのぶどうは寒冷地に強いアルプスの野生種であったのではないか。それがブルゴーニュで植えられるようになったと言われている。明らかに温かいところのぶどうではないというのは事実だ。ブルゴーニュにイタリアのぶどうを持っていっても育たない。

ぶどうのしぶみ

どうは皮が厚いほどしぶみが多い。また、種が大きいか小さいかにも関係する。事実、皮が薄くて、種が小さいとしぶみが少ない。もう1つ要因がある。同じ種類のぶどうから作ったワインでも、フランスの赤ワインと比べて、ドイツの赤ワインはしぶみが少ない。したがって、そのしぶみはぶどうを植えている場所の気温が低いか高いかにも関係するということだ。

古い木と新しい木

どうは蔓性の植物だ。若い木は成長がはやくどんどん伸びる。これをワインの専門家は「あばれる」と言うそうである。一般に植物には栄養成長と生殖成長がある。栄養成長はいわゆる木株そのものを成長させるというものである。一方、生殖成長は種の保存をするためで、いわゆる実をつける。新しい木では土から吸い上げられた養分が木の成長にまわってしまい、実にいく割合が少ないのだ。それで、新しい木から造られたワインの味は弱い。

方、生殖成長は種の保存をするためのもので、養分は木の成長にはあまりまわらず実にまわる。古い木はもはや成長の勢いがあまりないためそれほど伸びず、種の保存のためにまわるので、実の大きさは小さい。しかし、その小さな実に味が凝縮されているので、それから造られるワインの味は強いという。

のため、ブルゴーニュではやたらに新しい苗に植え替えない。その中でもロマネ・コンテイは特別で、3年前に250本の古い木を新しい木と植え替えたが、これはフランスの文部大臣の許可が必要であったそうである。どこのクリマ(区画畑)も一度に多数の木を一気には新しく植え替えはしない。

ブルゴーニュワインはなぜクリマごとに味が違うか

ルゴーニュワインの貢献者はシトー派である。シトー派は技術集団で修道院を拠点にして活動していたが、25名ぐらいの単位で分化した。修道院にワインは不可欠で、シトー派はブルゴーニュに畑を持つことを望んでいたそうであり、念願かなってブルゴーニュに畑を持てたとき、所有を示すために、石垣で壁を造った。これが現在でも残っている。同様に、貴族もブルゴーニュに畑を所有し、シトー派と同様に石垣で畑を囲った。しかし、重要なことは技術集団であるシトー派は畑ごとにワインの味に違いがあることに気がつき、同じ味のワインができるクリマを石垣で壁を造って分類したことである。この分類が現在でも残っている。
シトー派
ブルゴーニュでのワイン醸造は紀元前600年頃に始まったと言われている。その後12世紀に、俗世間から離れ修道院で清貧な生活を送る「シトー(葦)派」の修道僧が、葡萄畑を開墾して行った。名高い銘酒を生み出すぶどう畑が、彼らの開墾活動から誕生した。

地理的に不利な場所だから生まれた銘酒

お、ブルゴーニュはゲルマン民族が多くラテン系ではない。このあたりの村の名前もドイツ語が多い。ブルゴーニュワインが良くなった理由の一つに、ブルゴーニュは海から離れていることがあげられる。ボルドーは海に面しているためワインを英国、北欧に簡単に輸出できる。しかし、ブルゴーニュは内陸部に位置するのでワインを販売するための輸送費がかさみ、採算が取れなくなるので安いものだと割にあわないということがあり、そのせいか高く売れるいいワインを作る必要があったそうだ。(5/5)
■終わりに■
三田村氏はいくつかの幸運にも恵まれていたかもしれない。しかしその幸運は、三田村氏のひたむきな努力と情熱があってこそ、自らが引き寄せたものに違いないだろう。


■次のインタビュー■
ブルゴーニュワインの話は尽きることがない。時間がきたのでここでインタビューは終わりブルゴーニュワインを飲むことになった。選ばれたワインはフィサンというワインである。これはいわゆる「村名ワイン」で、フィサンという村で作られたワインである。次回にはワインの名前の付け方などをお聞きするということになった。ブルゴーニュワインのラベルはいろいろの情報がすべて書かれている。何年に、どこで、誰がということである。商品でこのような例はない。これだけでも興味津々だ。

さて、インタビューの関係者が乾杯して一口飲んだところで三田村氏は「20分飲むのを待ってください」といった。実際に20分たって飲むと味が変わっている。ぐっとおいしくなっている。この謎も次回お聞きすることにする。えもいわれぬおいしいブルゴーニュワインを飲んで1回目のインタビューが終わった。(律)
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
Toppageへ | 前のコンテンツへ
Copyright(C)2003-2008 Shirakawa, Mori, Inabayashi, Kimishima and Colleagues All Rights Reserved.