|
ワインの研究はぶどうを知ってから
ワインについては何も知らない三田村氏は、ワイン研究所の所長にまず何をすればよいか相談した。その研究所にはワインに関する7つの研究部門があり、三田村氏がどのような研究をすればよいかを考えるために、まず日本からワインを取り寄せ、それを7研究所の所長が飲んでから判断するということになった。三田村氏は、早速、山梨の会社からワインを取り寄せ、所長達が飲んだところ、次のような意見を述べられた。「日本のワインの醸造技術は立派であるが『ぶどう』が悪い、と。そして、三田村氏にぶどう造りを勧めた。
しかし、すぐに研究所で研究が始まったわけではない。ワインには専門用語が多いので、まずは1年間ぶどう畑で実習し、それから研究所で研究をすることになった。三田村夫妻は、研究所の紹介で、1849年から続いている名家のぶどう農場で、ご夫婦で実習を始められた。しかし、この実習は大変体力のいるもので、周りのドイツ人は、やせた三田村氏が本当に実習ができるかどうか興味津々だったそうである。
農場は30度の傾斜があり、そこで機械を上げたり下げたりして雑草を刈ったり、冬場はまた、1日中ぶどうの木の剪定という大変な作業であった。ドイツの木はとても固く、一日剪定バサミを使うと手がパンパンになり、腱鞘炎になったそうである。それでもぶどうのことを体で覚えるという意気込みでがんばった。
ぶどうが語りかけることを聞き取れるか
土日は実習が休みなので、三田村夫婦はおにぎりを持っていろいろな場所のぶどう畑を見みに行くのが習慣であった。三田村氏は、畑を見ながら「ぶどうが語りかけることを聞き取れるか」と、常に考えていた。これを1年間続け、ぶどうのことがわかってくるようになると、ぶどうが語りかけてくれるそうである。そして、1年後にはぶどうがどういう動き方をしているのかということを肌で感じられるようになったという。
山梨のぶどうがウイルスに汚染されている
結局、ドイツには化学の研究所に2年、ワインの研究所に3年の、5年間いたことになる。ワイン研究所の3年目、「日本のぶどうの木の状況が変だ」という情報が入った。どうもウイルスにやられているということだったが、その当時日本の試験所はウイルスに関する知識があまりなかったため、対処方法が分からなかったのだ。ワイン研究所の所長は三田村氏にウイルスの研究をすることを勧めた。
そこで紹介されたのが、フランスのコルマールという街にある、ウイルスの研究で著名な所長がおられる「INRA」という国立農業研究所だった。コルマールのあるアルザス地区はドイツ語圏であるため、ドイツ語がわかる三田村氏にとっては大変好都合なところであった。
その当時三田村氏はキッコーマンに就職していたが、会社はウィルス研究のため留学を1年延長してくれたそうである。その時山梨では、ぶどうが「味なし果」といわれて大問題になっていた。三田村氏が最初にしたことは、ウイルスに汚染された山梨のぶどうの木をフランスに持ちかえること。それを研究所の所長が考えた方法でどんなウイルスに汚染されているかを突き止めることであった。山梨のぶどうがどのようなウイルスに感染しているのかを突き止めるのに3年かかった。三田村氏は、その研究の成果の取り扱いに関して会社に相談すると、そのデータをすべて国の試験所に渡すことになり、それ以後は国の試験所がウイルスの研究を行うようになった。(3/5)
→つづく |